【日向坂46】「ってか」はルッキズムを超えたか
この記事を書いている3/17日現在での、日向坂46の最新楽曲、6thシングル「ってか」を、また穿った考察していこうと思います。
MVは青い暴風を操っていると思われるソフトクリーム型やにんじん型の魔物?と対峙するメンバーと激しめのダンスで構成されています。日向坂46の中では比較的、ガンガン煽る感じのMVではないでしょうか?でも全体的に空色を基調とした衣装やギミックで、日向坂46の明るい楽曲だということがありありと伝わってきます。
それを踏まえた上で歌詞に注目していきます。
例によって恋愛がテーマの今作で、目線は男性によくモテる女性といったところでしょうか。
曲の始まりは
「可愛いから好きになったなんて 全然ピンとこないのよ」
そしてサビには、
「可愛さを求めてるだけなら、私じゃなくてもいいんじゃない 同じものをみて感動できる 同じ価値観が欲しい ルックスから好きになるタイプは 他の誰かでもいいってこと もっと私をしってくれなきゃ ってか付き合えない」
この部分も含めて、多くのファン、そしてこの歌詞が暗示している「有象無象な男たち」に対して、バッサリ言い放つ箇所が非常に多いのが特徴です。
顔形の整った美貌、「可愛さ」ということで言えば、「愛嬌やロリ感で好きだからって言い寄ってくんじゃねーよバーカ」ということなんだと勝手に解釈しています。そういう歌詞、いいじゃないですか。
ルックスよりも価値観や「誠意」を大事にして恋愛したいというのは、私もよくわかりますし、そういう世の中になればいいと思います(まあこの歌詞では「私だけ愛してくれる 誠意」と言われちゃってるので、ポリアモリストなきらいがある私には辛い世の中ですね)。
2番は、
「心にもない言葉で 声をかけてくるけど 恋をゲームのように競っても トロフィーにはなれない」
というフレーズから始まります。
ここで別の問題も提起しています。男性にとって、女性と付き合っている、恋人がいるということはステータスなのであり、逆にひとりというのは社会的にマイナスになってしまう。
男性同士で、付き合った女性の数や経験でマウントをとるようなホモソーシャルな関係性が見えてしまうのは、社会学を学んで、上野千鶴子のあの文体が浸透した私の悪い癖ですかね?
そんなことよりも、「少しずつわかり合って お互いのこと信じ会えたら 本当の愛の意味だって なんとなくわかるでしょう」、という恋愛を、「ってか」の目線の役割を担っている女性はしたいんだと思います。
ここまでを整理すると、「ってか」では、ルックスだけ見て判断して言い寄ってくる男性なんかよりも、誠意があって、お互いに信頼できる恋愛像を訴えているようです。この楽曲の歌詞において、容姿なんてのは二の次以下、なんなら恋愛には全く関係ないのです。
タイトルでも書いたルッキズム、要するに外見で人間の価値を判断するという現代社会の悪習を真っ向から否定しているように思えます。
しかし、忘れてはいけないことがあります。
それは、そもそも「ってか」に登場する目線の女性は、「可愛いから好きになった」と言われるように、社会において優れたとみなされる容姿を備えており、それによって男性から言い寄られるという経験を既にしているということです。
前述した「男性にとって、女性と付き合っている、恋人がいるということはステータス」というのは、女性にも当てはまるようです。私の友人にも、男性と付き合えない自分をものすごく悲観している女性がいました(今は彼氏と幸せにやってます)。
もちろん男性も含めて、この点は人によるところはあります。しかし、恋人がいる人間の方が社会的に上に立っている感覚があるのは間違いありません。つまり「ってか」の女性は、既に恋愛至上主義の社会におけるカースト上位層なのです。社会において優れたとみなされる容姿をもたないことによって、この社会において恋愛市場から締め出されている人から見たら、これは贅沢な悩みといっても過言ではないのでしょうか。
「ってか」の歌詞ではルックスよりももっと重要なものを説いていますが、それは前提としてルックスというハードル、いうなれば予選を勝ち抜いた者にほど恋愛市場で多く得られる資格なんだと思いました。
日向坂46の楽曲に特段のメッセージを込めたわけはないと思っていますが(それよりも優れたパフォーマンスと明るいキャラクターでファンに元気を届け、熱狂し、応援したくなることが肝要だと思っています)、
歌詞は現実社会を映し出していると考えられることから、逆説的に、現実に見え隠れした問題について、ちょっと考えてみた次第であります。