yon-1997’s blog

架空地図と社会学的想像力とその他

安全地帯から聴く、日向坂46「僕なんか」

日向坂46のMVは「君しか勝たん」が一番好き。最高にエモいのは「声の足跡」

しかしニューシングルの「僕なんか」は、それらに負けるとも劣らないもの。

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私は現代アート的な抽象的で倒錯的で、自由な表現をしているMVが大好きで、それでいて歌詞もまた刺さります。秋元康の書く歌詞はなぜこうも感情に直接訴えかけられるのでしょうか。

おそらく、葛藤や、正直言って恥ずかしい感情なんかも包み隠さず表現しているからでしょう。志村貴子の描く『青い花』や『放浪息子』などの恋愛漫画のような、リアルなネガティブさと辛い現実、それでも負けない熱い想いが感じられます。さすがに「キュン」とかにはネガティブさは感じませんが、この「僕なんか」はそういった暗い一面も見せてくれます。

 

この曲では、「僕」と、「僕」が好意を寄せる「君」の2人が登場します。

「僕」は自分に自信がない男の子(男性と断言されていませんが、「僕」という一人称からおそらく男性でしょう)で、「君」は「僕にはもったいない」「マドンナ」的存在、おそらく高嶺の花の女の子(同じく女性と断言されていませんが、同性愛的ファクターもないうえ、大人気アイドルの表題曲にそういったセンシティブな内容を入れてはこないだろうということで、異性愛の物語だと想定します)です。

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ここから歌詞の解釈をA、Bの2通りのパターンで行います。解釈Aは、「僕」が一方的に「君」を好きでいるというもの。解釈Bは、「君」が「僕」に好意を抱いていて、それに「僕」が後から気づくというものです。

 

解釈A

タイトルと冒頭のフレーズでいきなり「僕なんか」とネガティブです。

1番では、「僕」は最初は無視していた「花」(=君の存在)に後から惹かれて、今さらどんな言葉で想いを伝えればいいか告白を逡巡しています。そして、「僕なんか このまま 遠くで盗み見ながら」と、「君」に近づくことも躊躇うようになります。

2番でもやはり、今さら告白をしても調子がいいやつだと「君」に呆れられるだろうと、そして自分の心の声に気づかずに、つまりは「君」のことを気になっていたのに、その気持ちに蓋をしていたことを今になって後悔している様子が見てとれます。

2番のサビでは、「君」が「僕」なんかにはもったいない「手の届かないマドンナ」のような存在(歌詞中では暗喩)であることが明かされます。その直前には、「君」は「僕にはもったいない」、一生で一回の奇跡(でしか手が届かない)存在だとも語られています。

その後、小坂のソロパートから続く場面では、

「できるなら 一瞬 僕に振り向いてくらたら この愛が確かに 真実だって証明しよう」と語られます。つまり告白です。

 

まとめると、

「「僕」は「君」の存在に後になって気づいて、「君」を好きだということに気がついて、今さら告白をしようとしても「僕なんか」相手にされないだろうと躊躇し、けれども君が振り向いてくれたら、この好きな気持ちを伝えよう」

ということです。

 

解釈B

この曲の歌詞では、「君」が「僕」に好意を抱いているのではないかとも思えます。

2番では、「後出しで好きなんて」「鈍感でごめん」という歌詞があります。つまり、「僕」よりも先に出してきた「好き」があるということ、何かの表現に「僕」が「鈍感」で気づかず、「ごめん」と謝ると捉えることができます。

そう考えると、1番で語られる綺麗な花を無視してたというのも、「君」が「僕」に好意を寄せていたのを、「生きるのに忙しくて」気づけなかったのではないかと、考えることができます。

WORKING!!』で知られる高津カリノの『サーバント×サービス』で、登場人物の一宮大志が、同じ職場で働く千早恵と交際していながら、それこそ「僕なんか」と自分を卑下して語ることに対して、千早恵は「失礼」だと話す、そんな場面があったような気がします。

自分と相手の好意は、しばしばずれてしまうものです。

 

さて、解釈Bであれば、「僕」は「君」から好意を寄せられていたため、「僕」は「君」にまだ好かれているかもしれないという予防線が張れます。それは、世間一般の片想いよりもアドバンテージがあります。

解釈Aであっても、「僕」は自信がないけども、「君」が振り向いてくれるという奇跡があれば告白しようと思っており、やはり世間一般の自信のない男性よりも有意に立てているのではないかと思います。

つまり、どちらにしよ「僕」とは、「僕なんか」という割に多少逞しいのはないかと思います。

さらにこの曲を歌うのは女性アイドルグループであり、原則ファンを裏切りません。もし熱愛が発覚などしたら、活動自粛からの卒業という「制裁」が課されます。

男性ファンが手の届かないマドンナ的存在である日向坂46のメンバーに好意を持っていたとしても、彼女らが自らの楽曲でファンの気持ちを代弁してくれるでしょう。また、この曲の世界というフィクションによって、ファンが誰かに寄せる敵わぬ恋心を癒してくれるでしょう。

 

好きな異性に告白をしたいけど、できない。そんな苦くも甘酸っぱい気持ちを、この「僕なんか」を聴くことで、自分とは無関係に楽しむことができる。それは安全地帯だなと思います。

 

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「僕なんか」は歌詞の複雑な気持ちもさることながら、MVも非常に素晴らしいものです。

小坂が編集する動画内で踊るメンバー。その空間は抽象的なものです。けやき坂46時代の舞台『あゆみ』を彷彿とさせます。

その空間が2番に切り替わるとともに、小坂の編集によって東京都中央区、銀座四丁目交差点という具体的な背景へと変わります。そして小坂もメンバーとともにダンスに加わります。これはおそらく、彼女の復帰1作目の楽曲であることを強調する演出でしょう。「青春の馬」の濱岸と同じようなものです。

その銀座四丁目も、デジタルなノイズや崩壊とともに、空のみの背景に切り替わります。

日向坂46の明るく朗らかなイメージからは少し離れた、理系的・デジタル的な演出、小坂の手によって組み替えられる世界という創造主的な役割は、彼女らは芸能界の荒波、ファンの視線を翻すように、自分達で生きていくという決意のような強さを感じさせます。

さらにラスサビでは山口・潮のから始まる、メンバー全員のアップでの歌唱シーンがあります。これが非常にカッコいいです。まなふぃ推しとしては、彼女の真剣な表情は他の楽曲ではなかなか見られない貴重なシーンです。

スクリーンショットよりも通しで見た方がカッコいいですよ

 

発売が待ち遠しいです☀️