yon-1997’s blog

架空地図と社会学的想像力とその他

私は男性ですが、同僚が女性の新入社員の顔を品定めするのが我慢できません。

新年度になり、私の勤める会社にも新卒の新入社員が入ってきました。

私は今年直接関わる機会はありませんが、同じ新卒入社の先輩が教育を行います。

 

で、私の同期の男性社員はというと、新入女性社員にかわいい子がいるかどうかの話ばかり。

 

「今年あんまかわいい子いなくない?」「俺あの子はかわいいと思うよ」「その子くらいやろなぁ」

 

その場にいた5人くらいの男性社員&1人の女性社員のうち、3人の男性社員がそんな話をしていました。

私が仕事で手が離せない間でも耳に入ってきたので、仕事が片付いてからハッキリ気持ち悪いと言おうと思いました。

 

彼らは普段は親しく話す仲ですが、流石に我慢できませんでした。

 

そもそも彼らは、1個下のよくミスをしてしまう後輩女性社員に対して最近ひどく陰口を言うようになっており、私はその後輩社員と何度か接していたこともあり、それにもイライラさせられていました。つまり、今日のはこれまで溜まっていた不満の発露というわけです。

というのも、彼らは他の後輩女性社員は「ちゃん」づけで呼ぶくせに、その子だけ呼び捨て。

「ちゃん」づけ自体は本人たちも嫌がっていない、というか動機も含めて使ってる呼び名みたいなものなので良いのですが、1人だけ呼び方を陰で変えてるのが気持ち悪い。

 

私は人の悪口を言うなとは言いません。ただ、ミスをするならそれが改善されるように指導するのが先です。指導もしないのにただ悪く言うだけと言うのは人として筋が通りません。

 

ということで言ってやりました。「お前らみたいに人を容姿だけでかわいくないって否定するのはほんと気持ち悪い」的なことを(細かい文言は忘れました)。

 

ただでさえ仲良い人が少ない私ですが、こうしてまた交友関係を狭めていくのです。

 

中学から高校、大学とかけて、徐々に男性嫌いが芽生えてきた私ですが、今の職場は周りの多くが男性なので、徐々にまた男性に慣れてきていました。それが今日一日で一気に逆戻りです。

 

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「かわいい」の反対は「かわいくない」。ではないです。

 

「かわいい」は「かっこいい」とか「美しい」、「面白い」「賢い」など、多様な肯定的評価の一つです。「かわいい」が「かっこいい」より優れている、というような、それぞれの間に絶対的な優劣関係はありません

 

しかし「かわいくない」というのは、「かわいい」の否定。つまり「かわいい」と「かわいくない」の間には、絶対的な優劣関係があります。

「かわいくない」は劣位の表現であるため、それは人に使えばすなわち否定的評価となります。

その一方、「かわいい」や「かわいくない」は個人の好み、感情であるため、その想起を防ぐことはできません。誰かに対して「かわいくない」、または「誰かに比べてかわいくない」というような否定的評価を下さないというのは無理な話です。なぜなら個人の好みだから。

しかし、それを口に出さないということはできます。人間なので理性があります。口に出さない限り誰も傷つきませんが、口に出せば誰かは傷つく恐れがあります。ですから避けるべきです。もし否定的評価を下すのであれば、そう言って傷つかない人にしか言ってはなりません(その時点で、それは否定的評価ですらないですし)。

 

さらに、複数人と1人、年上と年下、先輩と後輩というような権力関係において、上位に立つものが下位に立つものに対して理不尽な否定的評価(なぜなら容姿は変えられないし、直せと言ってこない人からミスを指摘されてても気付けない)をするというのは、ただただ卑劣なものです。

さらに、日本社会においては男性は女性よりも権力的に優位に立ってきた歴史があります。つまり、年上先輩男性が、年下後輩女性(さらに複数人対1人の場合も)に対して否定的な評価を下すというものは、より卑劣な行為と言えます。

 

先ほど「かわいい」というような肯定的な評価に対しては批判をしませんでしたが、複数の男性が女性に対して「かわいい」と言うとき、ホモソーシャルよろしく、「自分たちのお眼鏡にかなう女性は良く、そうでなければ悪い」という品定めになることが多いため、やはり男女の権力関係の上に成り立つ行為となります。

(なお、私は女性が男性に対して容姿などで品定めする行為も許しがたく思います。)

 

こういうのって、女性(特に人から容姿でについてあれこれ言われてきた)とこれまでどれだけ関わってきたかとか、男女の権力関係についてどれだけ学び、敏感になってきたかで変わると思うんですよね。大学で社会学を学んだからこそ、私は敏感になってきました(いや、敏感になってしまったが故に生きづらくもなりました)。

よく、テレビのバラエティ番組での男性タレントと女性タレントの権力関係を批判する文言を見ますが、そもそもテレビは台本とキャラクターによるフィクションなんですから、悪いのは権力関係を当然のこととして疑えない、そのまんま受容してしまう人たちです。そういう人はテレビを見ようが現実の人間関係を見ようが、男性による女性の容姿への評価を憚りません。(誰がドラえもんをフィクションと疑えないでしょうか?誰が現実の雑談でMCがいると思うのでしょうか?)

 

私は男性ですが、同じ男性だからこそ、こういうことにはより敏感に、より発言していかなければならないと思っています。そして自分の行いにもつねに自覚的でいること。