創作論ー最強の世界の作り方(『映像研には手を出すな!』より)
『映像研には手を出すな!』の主人公、浅草みどりは、設定から絵を描く人物です。
それは、浅草氏が自分の考える「最強の世界」を作るために絵を描いているのであり、そのためには設定が命だからだと言います。
この最強の世界について、作中ではあまり多くは語られません。特定の一つの最強の世界を作ろうとするというよりかは、彼女がさまざまな所から得たインスピレーションに従ってその時毎に生み出される空想の世界、その全てに必ず設定を書き込んだ設定画として作中で示されており、つまりその全てが最強の世界だと考えられます。
しかし彼女にとっての最強の世界には、ある場面で一度つまづきを迎えていることが判明します。
映像研がロボット研究部と合同でアニメを制作しようとする際、その肝となるロボットの設定を浅草氏が考えた時、一つの葛藤が生まれています。
浅草氏が校内の探検から、「物事には必ず訳がある」ということに気づかされます。ロボ研との合同の会議で生み出されたロボットに対して、腕も組めず真上も向けないロボットで、パイロットの安全が守れるのか、巨大ロボットは嘘の塊であると、気づいてしまいます。そして映像研の部室に飛び込み、「ロボアニメは、やめよう!!」と一喝します。しかし金森さやかに「バカヤロウ!!」とどやされます。ロボアニメ業界は視聴者の半分が敵、もう半分が将来の敵であり、設定の手間を省けばすぐにツッコミが入ることを浅草氏は危惧しています。
それに対して金森氏が発する言葉は、創作をする上で我々に金言を与えてくれます。
「あなたがダメだと思うから、この作品はダメなんですよ。他人なんて関係ない。監督なんすよあんたは。あんたがこのロボットに満足できないなら、「更に好き勝手描く」以外の選択肢はないんすよ!」
これにより、「自由」という浅草氏の創作スイッチが入り、速攻で金森氏、水崎氏も驚嘆するロボットの設定がを描き上げるのです。
ストーリーもメカの設定も、往々にして矛盾が生まれます。『ドラえもん』におけるドラえもんの存在もしかり、『名探偵コナン』におけるAPTX4869(アポトキシン4869=工藤新一が小さくなり、江戸川コナンの姿になった薬)の存在もしかり、現実世界ではあり得ないものです。しかしそれを言い出したら、ほとんどの創作は生み出すことはできません。重要なことは金森氏の言うように満足できるまで好き勝手描くことなのです。
最強の世界を作る上で、また先の場面で、浅草氏は一つの気づきを得ます。「雑居UFO大戦争」を作る話で、UFOを撃ち落とすビームがリアリティを高めるために不可視のものになっている代わりに、百目鬼氏協力のもと音によってビームがUFOを撃ち落としたことをわからせるということを、金森氏に説明する場面でのことです。ビームが目に見えないことに納得いかない金森氏を尻目に、音に納得できない浅草氏が百目鬼氏に注文をつけるのですが、金森氏は「演出」の話をしているのだと言います。
浅草氏は今まで描いてきたアニメの、
「一枚の絵じゃ見渡せない、未知なる広大な世界」を描くための「ありとあらゆることは演出だった!」
ということに気づきます。そして、
「ワシの世界は、演出によって最強化する。であるならば!私はまだ考えなくてはいけないのだ!!演出を!」
と叫びます。
設定をどれだけ自由に描こうとも、アニメにする上では演出によってその設定を活かさなければなりません。『映像研』ではアニメを作る上で演出の重要性を説いていますが、小説であっても、漫画であっても、映画であっても同じことでしょう。ゲームもまた同じことです。私の作っている架空鉄道も、架空地図も同じことです。
『ドラゴンクエスト8』というゲームを例に出します。
ドラクエ8の主人公は、兵士を務めていたトロデーン城が宿敵ドルマゲスによって呪いをかけられた際にも呪いが効かず、唯一の生き残り(国王のトロデはモンスターに、姫のミーティアは馬に変えられた)として旅を始めます。そして、その秘密は主人公の生い立ちによるものであり、クリア後に明かされるのですが、そういった設定を活かしている演出が上手いです。ドラクエ8の最初のボスであるザバンは、行動ローテーション上必ず初手に「呪いの霧」という技を使ってくるのですが、これが主人公には効きません。初手の攻撃であることからプレイヤーは必ずこの光景を目にし、「なぜ?」と思うと共に、何らかの伏線であると感じるのです。
つまり、主人公の特別な生い立ちと呪いの関係という設定を、ザバンの呪いの霧攻撃、ゲーム中の呪い攻撃が耐性によって効かないという演出によって活かされているのです。
現実の例も出してみます。
JR東日本が運行する乗ってたのしい列車の一つ、「SL銀河」は、岩手県の花巻駅と釜石駅を結んでいます。列車の由来は、岩手県生まれの宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に由来します。車内には宮沢賢治関係の書籍や絵本が置かれていたり、宮沢賢治に関する展示が行われています。
この例では、宮沢賢治は岩手県で生まれたという事実(創作における設定)がSL銀河の運行という演出で活かされています。また、SL銀河は宮沢賢治に由来するという設定は、車内のさまざまな展示が演出となって活かされています。
最強の世界、つまりは自分の満足いく空想の世界=創作を世に出すためには、自分で生み出した設定を表現するだけでも出来ることです。しかし浅草氏が気づいたように、演出を加えることで、その設定は広がりを持ちます。いわば最強に近づくのです。
『映像研には手を出すな!』について語った記事については、こちらも是非ご覧ください!