yon-1997’s blog

架空地図と社会学的想像力とその他

『映像研には手を出すな!』の魅力〜写実と設定の図と地の反転

『映像研には手を出すな!』という作品にハマりました。

アニメを一気見し、漫画も全巻買ってすぐに読破しました。

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原作は6巻まで出ています。

去年、文化庁メディア芸術祭の受賞作品展で『映像研』に興味を持ったのですが、その時は何も調べず。しかしこの前、飲食店の店内BGMで流れてきた「Easy Breazy」(=『映像研』のOP)をどこかで聴いた曲だと思い、Shazamしたところ、受賞作品展の『映像研』のブースでかかっていた曲であることが判明。そこからアニメを見始めました。

 

このアニメの変わったところとしては、作中で語られる空想上のメカの設定を語り、アニメとして描いているうちに、現実の世界からシームレスに空想の世界に入り込む、という場面が何度も出てくるところです。

そして、アニメ制作をする上で現実的な問題としてのしかかってくる、演出上うまくいかない未完成のアニメーションなどを、そのままアニメとして流しているということです。これにより、映像研のメンバーが作っているアニメをそのまま視聴者は体験することができます。

このような特徴は魅力的であり、これが果たして原作漫画でも行われているのか疑問でした。アニメが原作漫画を超えているのではないかと。

しかしそれは杞憂。漫画でもすでに現実と空想のシームレスな切り替わりは行われており、未完成なアニメーションもキャラクターの言葉で語られていれば今の課題がわかるし、完成品も数ページをセリフ無しの長尺で見せることで、映像研が作ったアニメだということがよくわかります。

 

そしてそれらが可能なのは、漫画もアニメも、写実的に背景や人物を描くことにこだわらず、キャラクターがこだわる設定や演出の方をリアルに描いているからだと思います。

 

『映像研』最大の魅力は、他の作品ではありえないほどキャラクター(映像研メンバー)それぞれのこだわりが説明的であり、それらは理屈となってアニメ作りというものに説得力を与えるとともに、その中でも主人公の浅草みどりのこだわりと言える「設定」は、本人が第一話でも話すように「スゲー楽しい」「秘密基地の設計図」のようなもので、それ自体にカッコよさ、ワクワクが詰まっています。

 

例えば1巻のプロペラスカートと3巻の多島海国家群大アトランティス連合の見開き設定画です。

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ちなみにこれらはストーリーには関わってきません。すべて浅草氏の即席の空想です。

書き込みの細かさもさることながら、文字による説明が膨大です。

 

反対に、キャラクターの線や表情は比較的デフォルメされており、ぐにゃぐにゃ曲がっているように見えます。

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第33話「時計塔のひみつ」より

アニメや漫画はよく、作画の綺麗さやリアルさこそが一番追求するところとされます。もちろんストーリーも重視されます。この辺は特に、新海誠監督の『君の名は』がマスメディアで大々的に取り上げられたところからより強くなったように思われます。

しかし、本来そういった写実性を追求することだけが、アニメや漫画の目指すべきところではありません。それは『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』などが国民的アニメになっていることからもわかるかと思います。これらの作品にもストーリーやギャグなど、写実性以外の魅力があります。ただし、これらは深夜アニメのようなオタク向けの作品ではありません。

深夜アニメでは昔から作画崩壊といって絵が崩れたりすると、ネットを中心に話題になることが多かったです。深夜アニメのようなオタク向けの作品では、元々最低限の写実性が求められていたのかなと思います。日常系作品などで見られるデフォルメにしても、顔のパーツのバランスや線はブレず、キャラクターのかわいさ、カッコよさのビジュアルは求めらている気がします。

 

先ほど『君の名は』の例を出しましたが、あちらは深夜アニメ風の作画で写実性を追求し、それが人口に膾炙することとなったという点で大きな分岐点だったように思います。

 

一方の『映像研』では、人物を流れるようなタッチで描かれ、そこに写実性はあまり感じられません。しかしそれにより、この作品で重要なことはあくまで設定、そして水崎ツバメのアニメーション、金森さやかのマネジメント、百目鬼の音といった「こだわり」の部分だということが際立ち、ものをつくるということの楽しさと難しさが伝わってきます。

まさに、人物を背景に、設定・裏側をメインにしたてるという優先関係の入れ替えをおこなっていることにより、リアルさという面で図と地の反転が起きていると言えます。

 

自分の中で譲れないことは自分にしか守れない、それがごく少数の人間、なんなら自分にしか必要としていないこだわりだったとしても、作ることに意味はある。いや、絶対的な意味がなかったとしても、自分が必要とするから意味が生まれるのです。水崎氏のいうように、「私は私を救わなくちゃいけない」というわけです。

自分のこだわりは誰にも邪魔されなる資格が無い代わりに、自分以外の誰にもかなえることが出来ないのです。

 

自らの好きなものに自信がない人、何らかの創作をしていると不安や恥ずかしさに苛まれる人、秘密基地的なワクワクを求めている人に、特に読んで欲しい作品です。

 

『映像研には手を出すな!』について語った記事については、こちらも是非ご覧ください!

yon-1997.hatenablog.com