yon-1997’s blog

架空地図と社会学的想像力とその他

4月の目標+3月の振り返り

4月になりましたね。エイプリルフールですが、特に何も嘘はつきませんでした🤗

 

0.3月の振り返り

3月1日に、3月の目標を立てた記事を書いたのですが、これを達成するために日々丁寧に生きていたことで、1ヶ月がとても長く、充実していたような気がします。歳をとると時間の流れが早くなるともいいますが、この調子で争っていきたいと思います。笑

 

読書は5冊読むのを目標にしていましたが、実際は4冊目の途中。休みの日に主に読んでいる2周目読書の『偏見や差別はなぜ起こる?』も、あと少しだけ終わっていません。最近仕事が忙しく、読書の時間がとりづらかったのが原因です。忙しいのは片付いたので、遅れを取り返したい所です。

 

架空地図関係は非常に進みました。全国地図は無事完成し、架空国家「日陽」を紹介する記事を書くこともできました。

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その一方、首都圏の路線図は描ききっていません。あともう少しなので、4月に完成させたいですね。

 

都心部の地図10枚は描くことが出来ました。

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地図を連結していますが、左は5枚、右は6枚で構成されています。

湾岸部分を複数枚いっぺんに描くことで見た目も派手に、枚数を増やすことが出来ました。

 

1.読書5冊+α

現在読んでいる本も含めて、5冊読みたいところ。しかし、次に読もうとしている本が非常に難解な予感なので(分厚くて難しそうなので4年ほど積読…)、また読み切れるかわからないですね…

+αは2周目読書。『台湾人の歌舞伎町』をもう一度読んで、歌舞伎町の歴史を復習したいです。

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左から、3月に読み終わった3冊、現在読んでいる1冊、次の1冊、現在読んでいる2周目、次の2周目

 

2.架空地図→日陽の概要を記事にする。

先に引用した「【架空地図制作期#11】ついに全国地図完成〜「日陽国」誕生す」の記事では、簡単な紹介しかしていませんが、もっと設定を練って、ある程度国として存在しそうなイメージを抱けるような記事を書きたいです。

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書きかけ

 

3.架空地図→首都圏路線図完成

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今月こそは完成させます。

 

4.架空地図→新規で5枚描く。この5枚も含めて、すべての地図に1ヶ所以上の駅名、住宅街、学校を入れる。

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首都、東上首の都心部(西側)

この地図では、白い道路=路地、オレンジの建物=学校を表しているのですが、これらを現在クリスタで描いている34枚(1枚はほぼ海なので除く)に加え、新規でクリスタに読み込む予定の5枚の計39枚全てに書き込みます。

なお、既存の路地も、密度を濃くするリニューアルを進めているのでそちらも進めます。上の地図でも、左の地区の路地と右の地区の路地とでは細かさが違っていますよね?この地図は30mm=1kmの縮尺なので、左のような密度では、道路がものすごく少ない住宅街になってしまうんです。

 

枚数を増やすよりも1枚の内容を充実させ、5月にはいよいよバス路線を作り始めたいところです。

 

5.架空地図→3つの都市の地図をスキャンできる状態にする。

クリスタで細かく描いている都心部の地図は、バス路線を作るためのものであると同時に、その都市の様子がわかるようにする意味があります。

これを、他にも3つの都市で描けるようにするべく、アナログで、A4用紙に書き始め、何枚かはスキャンできる状態まで持っていきます。

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このアナログからスキャンしてデジタルにするやり方は、以前に記事にしています。興味ある方がいらっしゃるかはわかりませんが、一応載せておきます。

3つの都市は逢坂県、天草県、広川県の県庁所在地。首都の東上首と合わせて4大都市という設定です。

 

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空想というのは、創作というのは、終わりがなくて永遠にできるので楽しいものです😊

Twitterもやっているのでよかったら見ていってください〜

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【架空地図制作期#11】ついに全国地図完成〜「日陽国」誕生す

全国地図が完成したので、私が製作している架空国家をお披露目したいと思います!

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全体図



 国名:日陽(にちよう、ひのはる)

公用語:日陽語

首都:東上首

最大都市:東上特別区

面積:不明

人口:2億1612万2123人

通貨:円

 

 設定などはおいおい作っていきます。

 

◆特徴

1.現実の日本をもとに作っています。

日陽国を立ち上げたのも、元は架空鉄道を全国規模で作ろうとしたため。そしてその架空鉄道はダイヤグラムを作るために描いています。そして私は日本の鉄道のダイヤがめちゃくちゃ好き(趣味的には、1978年頃から2000年台前半くらいが一番好き)なので、それをもとに、自分の好きなダイヤを詰め込もうとしています。

そうなると、必然的に日本の鉄道の形を模していくことになります。

私が好きな路線(およびダイヤ)は湖西線大阪環状線湘南新宿ライン近鉄大阪線名古屋線奈良線阪神山陽電車ほくほく線東京メトロ副都心線、都営浅草線小田急線あたりです。

これらは直通運転や特急の大規模な運転が特徴的です。それを架空に落とし込むために、路線の形は似ていきます。

 

2.現実の日本より大きいです。

下の図は、日陽地図に日本地図を同じ縮尺にして並べたものになります。

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日本地図は国土地理院より

面積を測っていないので正確な数値は出せませんけど、ざっくり3倍くらいの大きさになっているでしょうか?日陽は縦にも横にも大きくなっています。

これは夜行列車をはじめとした長距離列車を走らせるためです。ただ大きくなりすぎたので、「じゃあ飛行機でいいじゃん」ということになっているのですが…

そのために、「いかに飛行機よりも鉄道を選ばせるか」ということもまた考える必要が出てきます。これは新幹線(日陽では高速線と呼んでいます)と在来線の競合関係でも同じことが言えます。この点については、過去の記事でも書いています。

 

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ちなみに県の数も51に分けられます。日本の都道府県に当たる区分は、日陽では首県州という区分にしています。

 

3.モデルにした国

前述したように、日陽は日本ベースの国です。しかし、他にもモデルにしている国があります。

まず、国土が広大になることから、アメリカや中国は少し参考にしています。具体的には空港の数や、主要都市が分散するかどうかなどです。日本だと東京一極集中ですが、アメリカなら東海岸のニューヨークと西海岸のロサンゼルス、中国だと北京以外にも上海や重慶など巨大な都市があります。

(もちろん大阪や名古屋だって大都市ですけど)

下記の記事は昔読みました。

airline.skr.jp

中国に関しては、春運と呼ばれる旧正月帰省ラッシュに合わせた鉄道やバスの大増発を、私の架空鉄道に入れたいなということで、映像などでよく参考にしています。

www.youtube.com

(新唐人テレビ公式の動画は見られなくなったのかな?こちらの動画、サムネはありませんが再生できます)

 

あとは財閥を作っているので、韓国も参考にしています。日陽を受験競争がえげつない国として設定しているので、(小学校お受験→)中学校受験→大学受験→就職活動の流れが日本よりさらに過酷、という感じです。流石に試験に間に合わせるようにパトカーが出動したりとかはしません。

あと中国、韓国に関しては、新年を家族と過ごす慣習が日本より強いということも参考にしています。

信仰に関してはこちらの記事でも書いています。

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◆結びのあいさつ

私の空想にお付き合いいただきありがとうございます。

私のブログでは、これから細々した進捗を、架空の地名を使いながら載せていこうと思います。

もし面白いと思っていただけたら、定期的に覗いていただいたり、SNSで紹介していただけるととっても嬉しいです!

 

◆作者後記👉

・モデルにした場所の地名に語感を似せる傾向にあるため、日陽は日本と似ている。千鶴、福生、山伏、広川、福崎も似せている。

・安曇県のあたりで本州は古代にはおそらく2つの島に分かれていた。

・石捻好は「せきねんすく」、福生は「ほうき」、大善は「おおくに」と読ませている。

・環境問題に力を入れている国なので、自家用車や飛行機は税金が高く、鉄道が相対的に安くなっている、という設定。

・地図はCLIP STUDIO PAINT (クリスタ)で作っている。

 

 

 

 

創作論ー最強の世界の作り方(『映像研には手を出すな!』より)

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浅草みどり氏

『映像研には手を出すな!』の主人公、浅草みどりは、設定から絵を描く人物です。

それは、浅草氏が自分の考える「最強の世界」を作るために絵を描いているのであり、そのためには設定が命だからだと言います。

 

この最強の世界について、作中ではあまり多くは語られません。特定の一つの最強の世界を作ろうとするというよりかは、彼女がさまざまな所から得たインスピレーションに従ってその時毎に生み出される空想の世界、その全てに必ず設定を書き込んだ設定画として作中で示されており、つまりその全てが最強の世界だと考えられます。

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3巻の多島海国家群大アトランティス連合

しかし彼女にとっての最強の世界には、ある場面で一度つまづきを迎えていることが判明します。

映像研がロボット研究部と合同でアニメを制作しようとする際、その肝となるロボットの設定を浅草氏が考えた時、一つの葛藤が生まれています。

浅草氏が校内の探検から、「物事には必ず訳がある」ということに気づかされます。ロボ研との合同の会議で生み出されたロボットに対して、腕も組めず真上も向けないロボットで、パイロットの安全が守れるのか、巨大ロボットは嘘の塊であると、気づいてしまいます。そして映像研の部室に飛び込み、「ロボアニメは、やめよう!!」と一喝します。しかし金森さやかに「バカヤロウ!!」とどやされます。ロボアニメ業界は視聴者の半分が敵、もう半分が将来の敵であり、設定の手間を省けばすぐにツッコミが入ることを浅草氏は危惧しています。

それに対して金森氏が発する言葉は、創作をする上で我々に金言を与えてくれます。

「あなたがダメだと思うから、この作品はダメなんですよ。他人なんて関係ない。監督なんすよあんたは。あんたがこのロボットに満足できないなら、「更に好き勝手描く」以外の選択肢はないんすよ!」

これにより、「自由」という浅草氏の創作スイッチが入り、速攻で金森氏、水崎氏も驚嘆するロボットの設定がを描き上げるのです。

 

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叫ぶ金森氏

ストーリーもメカの設定も、往々にして矛盾が生まれます。『ドラえもん』におけるドラえもんの存在もしかり、『名探偵コナン』におけるAPTX4869(アポトキシン4869=工藤新一が小さくなり、江戸川コナンの姿になった薬)の存在もしかり、現実世界ではあり得ないものです。しかしそれを言い出したら、ほとんどの創作は生み出すことはできません。重要なことは金森氏の言うように満足できるまで好き勝手描くことなのです。

 

最強の世界を作る上で、また先の場面で、浅草氏は一つの気づきを得ます。「雑居UFO大戦争」を作る話で、UFOを撃ち落とすビームがリアリティを高めるために不可視のものになっている代わりに、百目鬼氏協力のもと音によってビームがUFOを撃ち落としたことをわからせるということを、金森氏に説明する場面でのことです。ビームが目に見えないことに納得いかない金森氏を尻目に、音に納得できない浅草氏が百目鬼氏に注文をつけるのですが、金森氏は「演出」の話をしているのだと言います。

浅草氏は今まで描いてきたアニメの、

「一枚の絵じゃ見渡せない、未知なる広大な世界」を描くための「ありとあらゆることは演出だった!」

ということに気づきます。そして、

「ワシの世界は、演出によって最強化する。であるならば!私はまだ考えなくてはいけないのだ!!演出を!」

と叫びます。

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叫ぶ浅草氏

設定をどれだけ自由に描こうとも、アニメにする上では演出によってその設定を活かさなければなりません。『映像研』ではアニメを作る上で演出の重要性を説いていますが、小説であっても、漫画であっても、映画であっても同じことでしょう。ゲームもまた同じことです。私の作っている架空鉄道も、架空地図も同じことです。

 

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ドラゴンクエスト8』というゲームを例に出します。

ドラクエ8の主人公は、兵士を務めていたトロデーン城が宿敵ドルマゲスによって呪いをかけられた際にも呪いが効かず、唯一の生き残り(国王のトロデはモンスターに、姫のミーティアは馬に変えられた)として旅を始めます。そして、その秘密は主人公の生い立ちによるものであり、クリア後に明かされるのですが、そういった設定を活かしている演出が上手いです。ドラクエ8の最初のボスであるザバンは、行動ローテーション上必ず初手に「呪いの霧」という技を使ってくるのですが、これが主人公には効きません。初手の攻撃であることからプレイヤーは必ずこの光景を目にし、「なぜ?」と思うと共に、何らかの伏線であると感じるのです。

つまり、主人公の特別な生い立ちと呪いの関係という設定を、ザバンの呪いの霧攻撃、ゲーム中の呪い攻撃が耐性によって効かないという演出によって活かされているのです。

 

現実の例も出してみます。

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JR東日本が運行する乗ってたのしい列車の一つ、「SL銀河」は、岩手県花巻駅と釜石駅を結んでいます。列車の由来は、岩手県生まれの宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に由来します。車内には宮沢賢治関係の書籍や絵本が置かれていたり、宮沢賢治に関する展示が行われています。

この例では、宮沢賢治岩手県で生まれたという事実(創作における設定)がSL銀河の運行という演出で活かされています。また、SL銀河は宮沢賢治に由来するという設定は、車内のさまざまな展示が演出となって活かされています。

 

最強の世界、つまりは自分の満足いく空想の世界=創作を世に出すためには、自分で生み出した設定を表現するだけでも出来ることです。しかし浅草氏が気づいたように、演出を加えることで、その設定は広がりを持ちます。いわば最強に近づくのです。

 

『映像研には手を出すな!』について語った記事については、こちらも是非ご覧ください!

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『映像研には手を出すな!』の魅力〜写実と設定の図と地の反転

『映像研には手を出すな!』という作品にハマりました。

アニメを一気見し、漫画も全巻買ってすぐに読破しました。

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原作は6巻まで出ています。

去年、文化庁メディア芸術祭の受賞作品展で『映像研』に興味を持ったのですが、その時は何も調べず。しかしこの前、飲食店の店内BGMで流れてきた「Easy Breazy」(=『映像研』のOP)をどこかで聴いた曲だと思い、Shazamしたところ、受賞作品展の『映像研』のブースでかかっていた曲であることが判明。そこからアニメを見始めました。

 

このアニメの変わったところとしては、作中で語られる空想上のメカの設定を語り、アニメとして描いているうちに、現実の世界からシームレスに空想の世界に入り込む、という場面が何度も出てくるところです。

そして、アニメ制作をする上で現実的な問題としてのしかかってくる、演出上うまくいかない未完成のアニメーションなどを、そのままアニメとして流しているということです。これにより、映像研のメンバーが作っているアニメをそのまま視聴者は体験することができます。

このような特徴は魅力的であり、これが果たして原作漫画でも行われているのか疑問でした。アニメが原作漫画を超えているのではないかと。

しかしそれは杞憂。漫画でもすでに現実と空想のシームレスな切り替わりは行われており、未完成なアニメーションもキャラクターの言葉で語られていれば今の課題がわかるし、完成品も数ページをセリフ無しの長尺で見せることで、映像研が作ったアニメだということがよくわかります。

 

そしてそれらが可能なのは、漫画もアニメも、写実的に背景や人物を描くことにこだわらず、キャラクターがこだわる設定や演出の方をリアルに描いているからだと思います。

 

『映像研』最大の魅力は、他の作品ではありえないほどキャラクター(映像研メンバー)それぞれのこだわりが説明的であり、それらは理屈となってアニメ作りというものに説得力を与えるとともに、その中でも主人公の浅草みどりのこだわりと言える「設定」は、本人が第一話でも話すように「スゲー楽しい」「秘密基地の設計図」のようなもので、それ自体にカッコよさ、ワクワクが詰まっています。

 

例えば1巻のプロペラスカートと3巻の多島海国家群大アトランティス連合の見開き設定画です。

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ちなみにこれらはストーリーには関わってきません。すべて浅草氏の即席の空想です。

書き込みの細かさもさることながら、文字による説明が膨大です。

 

反対に、キャラクターの線や表情は比較的デフォルメされており、ぐにゃぐにゃ曲がっているように見えます。

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第33話「時計塔のひみつ」より

アニメや漫画はよく、作画の綺麗さやリアルさこそが一番追求するところとされます。もちろんストーリーも重視されます。この辺は特に、新海誠監督の『君の名は』がマスメディアで大々的に取り上げられたところからより強くなったように思われます。

しかし、本来そういった写実性を追求することだけが、アニメや漫画の目指すべきところではありません。それは『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』などが国民的アニメになっていることからもわかるかと思います。これらの作品にもストーリーやギャグなど、写実性以外の魅力があります。ただし、これらは深夜アニメのようなオタク向けの作品ではありません。

深夜アニメでは昔から作画崩壊といって絵が崩れたりすると、ネットを中心に話題になることが多かったです。深夜アニメのようなオタク向けの作品では、元々最低限の写実性が求められていたのかなと思います。日常系作品などで見られるデフォルメにしても、顔のパーツのバランスや線はブレず、キャラクターのかわいさ、カッコよさのビジュアルは求めらている気がします。

 

先ほど『君の名は』の例を出しましたが、あちらは深夜アニメ風の作画で写実性を追求し、それが人口に膾炙することとなったという点で大きな分岐点だったように思います。

 

一方の『映像研』では、人物を流れるようなタッチで描かれ、そこに写実性はあまり感じられません。しかしそれにより、この作品で重要なことはあくまで設定、そして水崎ツバメのアニメーション、金森さやかのマネジメント、百目鬼の音といった「こだわり」の部分だということが際立ち、ものをつくるということの楽しさと難しさが伝わってきます。

まさに、人物を背景に、設定・裏側をメインにしたてるという優先関係の入れ替えをおこなっていることにより、リアルさという面で図と地の反転が起きていると言えます。

 

自分の中で譲れないことは自分にしか守れない、それがごく少数の人間、なんなら自分にしか必要としていないこだわりだったとしても、作ることに意味はある。いや、絶対的な意味がなかったとしても、自分が必要とするから意味が生まれるのです。水崎氏のいうように、「私は私を救わなくちゃいけない」というわけです。

自分のこだわりは誰にも邪魔されなる資格が無い代わりに、自分以外の誰にもかなえることが出来ないのです。

 

自らの好きなものに自信がない人、何らかの創作をしていると不安や恥ずかしさに苛まれる人、秘密基地的なワクワクを求めている人に、特に読んで欲しい作品です。

 

『映像研には手を出すな!』について語った記事については、こちらも是非ご覧ください!

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自分が存在するとはどういうことか

大学時代に社会学を学んでいた私ですが、自己論(という言い方をしていたような、アイデンティティ論といったような)は4年間常に勉強していました。自分と他者の相互行為。シンボリック相互行為論とか、よく言っていたような気がします。高校生までの自分が思っていた「自己」というものと、大学生になって学んだ「自己」というものの違い。自己とは自分によって作られるものではなく、他者によってみられるからこそ現れるという、なんかそんな感じの理論に惹かれていたと思います。

理論があまりにも抽象的すぎて、すでに怪しくなってしまっています。今このブログを書きながら、手元には『社会学小辞典』を置いています。ついでに大学生時代、試験勉強のために授業内容をWordにまとめていたものを見返したりしています。

自分が行う行為も、社会的行為とか言ったりして、決して自分が何かをするだけで完結するのではなく、社会の中で規定されるのです。

 

承認欲求、という言葉をよく聞きます。

他人から認められたい、かわいいと言われたい、すごいと言われたいなどなど、自分をすごいと思わしめる欲求です。Wikipediaからの引用で恐縮ですが、「『他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたい』という願望であり、『尊敬・自尊の欲求』とも呼ばれる」とも言われています。

 

しかし社会学をかじった私からしたら、承認欲求=自分の存在・行動がすごいと他者に認めてもらうという以前に、すごいかどうかという価値判断を抜きにした、自分という存在そのものもすでに、他者から承認される必要があると思っています。自分は他者にみられるからこそ自分なのであり、地球上に自分一人しかいなければ、自分という存在は存在し得ない、という立場です。

 

地球上に自分一人というのは大袈裟ですが、他人に見せたことない自分の姿というのは、その見せてない自分の姿に限っては地球上のただ一人となってしまいます。つまり、他人に見せたことない自分の姿というのは、この社会に存在しているとはいえません。

 

「誰に見せるわけでもないからいい」とか、「バレなきゃ犯罪じゃない」というのは、この考え方に通じるものがあります。

 

私はこれまで一人で架空鉄道や架空地図を作っていましたが、今年から積極的にSNSなどで公表しています。書き始めたはてなブログでも、時々見せびらかしています。

見せびらかしていると書いたのは、私は自分の姿を社会的に存在させるためにブログやSNSで架空鉄道などを公表していますが、それは私生活でも仕事上でも顔を覗かせることはないですし、友人に示す必要もないこと、さらに自己満足で完結させることも可能ながら、わざわざ誰かに見てもらい、社会的な存在にしたいというエゴが存在するため、「見せびらかし」と書きました。

リア友に見せる用のインスタも最近始めましたが、それも同じ。友人に自分の私生活(料理とか、食べた外食)を見せることで、自分というものの総体(仕事や雑談で関わる自分の姿+α)を友人に見せ、友人との間の社会に私の総体、真の私を位置付けるのです。しかしリア友には架空鉄道は見せていません。友人との間の社会には、架空地図を書く私は存在しないのです。ということは、真の私はやはり存在していないのかもしれません。

社会は複数あるのです。いや、社会は一つであっても、ある空間と別の空間の間には、パーテーションや私しか持たない鍵でしか開かない扉で隔たれており、兄弟で共有する一部屋のように、簡易的な仕切りながら確実に仕切っているにすぎないのです。

 

いいねの数が欲しいわけではないですが、いいねをもらうということは、確実にその投稿を見てもらっている、つまり自分の姿を見てもらっているということであり、要するに自分の存在を社会に固定しているということです。裏を返せば、いいねの数がわからなくてもその投稿を見てもらったということがわかればいいわけです。

 

 

自己論は社会学や心理学で定説があるものの、あまりにも抽象的かつ主観的な部分が大きいため、十人十色の自己論が存在しそうです。

【日向坂46】「ってか」はルッキズムを超えたか

この記事を書いている3/17日現在での、日向坂46の最新楽曲、6thシングル「ってか」を、また穿った考察していこうと思います。

www.youtube.com

 

MVは青い暴風を操っていると思われるソフトクリーム型やにんじん型の魔物?と対峙するメンバーと激しめのダンスで構成されています。日向坂46の中では比較的、ガンガン煽る感じのMVではないでしょうか?でも全体的に空色を基調とした衣装やギミックで、日向坂46の明るい楽曲だということがありありと伝わってきます。

 

それを踏まえた上で歌詞に注目していきます。

 

例によって恋愛がテーマの今作で、目線は男性によくモテる女性といったところでしょうか。

曲の始まりは

「可愛いから好きになったなんて 全然ピンとこないのよ」

そしてサビには、

「可愛さを求めてるだけなら、私じゃなくてもいいんじゃない 同じものをみて感動できる 同じ価値観が欲しい ルックスから好きになるタイプは 他の誰かでもいいってこと もっと私をしってくれなきゃ ってか付き合えない」

この部分も含めて、多くのファン、そしてこの歌詞が暗示している「有象無象な男たち」に対して、バッサリ言い放つ箇所が非常に多いのが特徴です。

顔形の整った美貌、「可愛さ」ということで言えば、「愛嬌やロリ感で好きだからって言い寄ってくんじゃねーよバーカ」ということなんだと勝手に解釈しています。そういう歌詞、いいじゃないですか。

ルックスよりも価値観や「誠意」を大事にして恋愛したいというのは、私もよくわかりますし、そういう世の中になればいいと思います(まあこの歌詞では「私だけ愛してくれる 誠意」と言われちゃってるので、ポリアモリストなきらいがある私には辛い世の中ですね)。

 

2番は、

「心にもない言葉で 声をかけてくるけど 恋をゲームのように競っても トロフィーにはなれない」

というフレーズから始まります。

ここで別の問題も提起しています。男性にとって、女性と付き合っている、恋人がいるということはステータスなのであり、逆にひとりというのは社会的にマイナスになってしまう。

男性同士で、付き合った女性の数や経験でマウントをとるようなホモソーシャルな関係性が見えてしまうのは、社会学を学んで、上野千鶴子のあの文体が浸透した私の悪い癖ですかね?

 

そんなことよりも、「少しずつわかり合って お互いのこと信じ会えたら 本当の愛の意味だって なんとなくわかるでしょう」、という恋愛を、「ってか」の目線の役割を担っている女性はしたいんだと思います。

 

ここまでを整理すると、「ってか」では、ルックスだけ見て判断して言い寄ってくる男性なんかよりも、誠意があって、お互いに信頼できる恋愛像を訴えているようです。この楽曲の歌詞において、容姿なんてのは二の次以下、なんなら恋愛には全く関係ないのです。

 

タイトルでも書いたルッキズム、要するに外見で人間の価値を判断するという現代社会の悪習を真っ向から否定しているように思えます。

 

 

しかし、忘れてはいけないことがあります。

 

それは、そもそも「ってか」に登場する目線の女性は、「可愛いから好きになった」と言われるように、社会において優れたとみなされる容姿を備えており、それによって男性から言い寄られるという経験を既にしているということです。

前述した「男性にとって、女性と付き合っている、恋人がいるということはステータス」というのは、女性にも当てはまるようです。私の友人にも、男性と付き合えない自分をものすごく悲観している女性がいました(今は彼氏と幸せにやってます)。

 

もちろん男性も含めて、この点は人によるところはあります。しかし、恋人がいる人間の方が社会的に上に立っている感覚があるのは間違いありません。つまり「ってか」の女性は、既に恋愛至上主義の社会におけるカースト上位層なのです。社会において優れたとみなされる容姿をもたないことによって、この社会において恋愛市場から締め出されている人から見たら、これは贅沢な悩みといっても過言ではないのでしょうか。

 

「ってか」の歌詞ではルックスよりももっと重要なものを説いていますが、それは前提としてルックスというハードル、いうなれば予選を勝ち抜いた者にほど恋愛市場で多く得られる資格なんだと思いました。

 

日向坂46の楽曲に特段のメッセージを込めたわけはないと思っていますが(それよりも優れたパフォーマンスと明るいキャラクターでファンに元気を届け、熱狂し、応援したくなることが肝要だと思っています)、

歌詞は現実社会を映し出していると考えられることから、逆説的に、現実に見え隠れした問題について、ちょっと考えてみた次第であります。

 

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今回は迷わなかったサムネ。推しメンの高瀬愛奈。ひなあいでの活躍をいつも楽しみにしてます。

 

飲んだことない銘柄の日本酒は中間からちょっと上くらいのグレードのものを買うといいのでは?

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※この記事はたいした結論に至りません。

 

タイトルの通りです。私は日本酒が大好きなのですが、味の違いというのがいまいちわかっていません。

 

好きな銘柄はあります。八海山とか東光とか、高清水とか

 

ただ同じ銘柄の飲み比べとなると違いが怪しかったり、そもそも違う銘柄同士でも正直……?

 

 

成人したての頃飲んだ、浦霞とか上善如水(純米吟醸)とかは正直美味しいと思わなかったので、おそらく好みはなんとなくあると思います。

ちなみにその時友達に連れてってもらった日本酒をめちゃくちゃ揃えているお店で飲んだ十四代や新政も美味しさに気づけなかったので、今飲むとまた違った感想になりそうです。

上善如水の純米大吟醸とかひやおろしとか、最近お店で飲んだ新政はすごく美味しいと思ったり。

 

気づいたのが、好きな銘柄である東光は純米吟醸、高清水は純米大吟醸を飲んでおり、それは日本酒の中でも上から数えた方が高いくらいのグレードだということです(四合瓶で1200~1800円くらいですが)。

八海山は特別本醸造、それ以外の好きな日本酒、喜多屋、羽根屋、雪男などはグレードを気にせず飲んでいるのですが、そもそも地酒だし、パック酒とかにはなっていないし、間違っても合成清酒ではないし、普通酒でもないことから、日本酒全体で言えば「いい方」なのかなと思います。

ちなみに20歳の誕生日、最初に飲んだ日本酒は獺祭でした。

 

ということで、本日お休みを利用して、有名だけれど案外飲んだことがない日本酒を、ちょっと上くらいのグレードを意識して買ってみました。

選んだのは久保田と七田。

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360mlで飲み比べ

近所のちょっといいスーパーに売っていた、「久保田 千壽 純米吟醸」と、「七田 純米」。

実は既に企画倒れでして、七田はホームページによると、この純米酒はスタンダードなものだそう。360mlの瓶がこれしかなかったので仕方ない…久保田よりはやや高めの値段設定だし、よしとしました。

 

www.asahi-shuzo.co.jp

tenzan.co.jp

 

飲んでみました。

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メインが遠いしピントを合わせてないという。そう、iPhone13ならね。

違う種類の酒器を使っているし、水を挟んでいるとは言え、おつまみを食べながら。さらにこの時点で、既に他のお酒を飲んだ後なので、ほろ酔い状態。

 

飲んだ感想ですが、久保田は「う〜ん、飲んだ後味がちょっと嫌かな?」。七田は「うまっ!」

でも肴を食べてからのマリアージュは久保田も最高の味。逆に七田は、口に含む量とかによっては、やっぱりちょっと嫌な味。雑味なのかな?

 

結論から言うと、どちらも美味しいお酒であることに変わりはありません。そもそも私は日本酒は必ず何かを食べながら飲むので、食べ物との組み合わせが命ですから。しかし違いはそこまでわかりません。特に他の銘柄も含めて、「〇〇の方が××より△△だから美味しい」という言い方はできません。

 

というか、日本酒の違いが事細かにわかるのであれば、誰でも唎酒師(利き酒の資格)になる素質があるということになってしまいます。

 

それよりも、酒造の推しとか、銘柄の推しとか、なんとなく味わった感じとか、思い出(=バイアス)とか、価格によるプラシーボ効果なんかが、日本酒の主観的な味に影響を与えるのではないでしょうか。私もそれでいい気がします。でも同じ酒造内での違いは知れると楽しそうだな〜と思ったり。

グレードなんて関係ない気がします。